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大避神社/赤穂市
宝珠山・生島・大避神社
所在/兵庫県赤穂市坂越 
宝珠山の中腹に上から妙見寺、大避神社(おおさけじんじゃ)があり、坂越湾に秦河勝を葬った生島がある。

・宝珠山、別名、茶臼山という。
頂上に山城があった。
茶臼山城は「一蓮坊(いちれんぼう)祐之」という土豪が指揮を執っていたが、秀吉の三木城攻めの際に秀吉の家臣による攻撃を受け降参した。この茶臼山城は、一般的に全国に200以上あるといわれている戦跡の茶臼山のひとつ。

頂上から見た坂越湾
●大避神社


祭神は
・大避大神(秦河勝)
・天照皇大神
・春日大神
坂越浦に面して鎮座した神社の創立時期は明らかではないが、千種川流域を開墾したとされる秦河勝が大化3年(647年)に没し、地元の民がその霊を祀ったのが始まりとされる。
播磨国総社縁起によれば、養和元年(1182年)に祭神中太神24座に列せられ、当時すでに有力な神社であったという。 現在の本殿は明和6年(1769年)、拝殿と神門は延享3年(1746 年)に再建されたもの。拝殿両脇の絵馬堂には40余りの絵馬が揚げられており、中でも享保7年(1722年)の船絵馬は最も古い船絵馬として貴重なもの。
司馬遼太郎は「兜率天の巡礼」においてこの神社を登場させ、秦氏はネストリウス派キリスト教徒の末裔であったという物語を創作している(フィクション)

以上が一般的な大避神社の解説だが、この大避神社には奇妙な疑惑が付きまとう。
祭神の大避大神は秦河勝が死後に神として祀られた形だが、オオザケは秦河勝の生きている内からあったようなのだ。つまり、大避大神は秦河勝のことではない。
そしてこのオオザケ神社が赤穂、相生、上郡、備後地方まで数え切れないほど存在する。そちらは大避を大辟と表記して大辟神社であり、また、これを大酒と表記した神社が京都にある。秦氏の氏寺・広隆寺に隣接した大酒神社である。
(大辟は「死刑」という意味だという)
このオオザケ神の正体はどこにも説明されていない。
さらに大酒は神社だけでなく集落地名として上郡にある。
大避は大辟でも大酒でも何でも良かった、要は当て字で、必要なのは「オオザケ」という発音だったのだ。

兵庫のオオザケ神社群
船渡御祭
●ここには、船渡御祭(ふなとぎょまつり)という船祭りがあり、対岸の生島へ屋台が渡る祭り。
生島は渡島が禁じられている島で渡島できるのは毎年10月の祭礼の日だけと定められている。
大避神社は瀬戸内海三大祭りの一つ
「坂越の船祭り」で知られる。
●生島
坂越湾に浮かぶ生島は神社の神域となっており、島内には秦河勝の墓がある。
毎年10月に行われる大避神社の、江戸時代初期からの歴史を持つ祭礼で、瀬戸内海三大祭りの一つ。 櫂伝馬、獅子船、頭人船、楽船、神輿船、供奉船、歌船など12隻の和船が坂越湾を渡御する(船渡御)。 1992年に国の選択無形民俗文化財に選定された。坂越の氏神である大避神社の沖に浮かぶ周囲1630mの小島。古来より神域として人の立入が禁じられてきたため原始の森が保たれた。
●島頭の大避神社の生島御旅所
●島中の御船待機所
・船渡御祭りは毎年第二土曜、日曜日に開催される。
リンク案内⇒大避神社・坂越の船祭り

生島に眠る秦河勝は太秦の棟梁だった。この秦氏一族には奇妙な陰が付きまとう。その秦氏の氏寺が京都・嵐山の広隆寺である。

兵庫のオオザケ神社群


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兵庫のピラミッド