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●奥宮神社  歩道から南側へ50mほど入った所にある。
奥宮神社入り口の鳥居 奥宮神社の神殿。側面から
●奥宮神社由緒書きでは
崇神天皇が西暦前98年にこの亀の山に「天照国照彦火明櫛玉饒速日命」を祀られたのが始まりという。
オオカミ 上記の説明は間違い
「天照国照彦火明櫛玉饒速日命」
・・・この長い神の名前が解釈できないことが問題でした。
天照国照/彦火明櫛玉饒速日命
と区切る。この中の櫛玉が解釈できれば実像が誰かが分かります。

櫛玉とは奇魂(くしたま)
いろいろな説明には、櫛玉を神の名前と説明しているものもあるが、櫛玉とは神の魂のことである。
詳細は→櫛玉・奇魂

オオカミアマテラスは創作神、
天照国照彦という神は存在しない。
天照国照/彦火明の区切りで天照国照は「天を治め国を治め」という説明語彦は火明の
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由緒書きの崇神天皇・西暦前98年だが、騎馬民族説ではこの年代には天皇はまだ日本に来ていない。西暦前98年が正しければ祀ったのは崇神天皇ではなく他の誰かであり、崇神天皇が祀ったものなら日本に渡来したと思われる紀元300年以降のことになる。いずれにしても古い神社であることに変わりはない。
その後の由来は、御祭神の武甕槌神は室町時代に赤松氏の勧請により合祀したという。それ以後、徳川時代の初期に武甕槌神を現在の揖西町中垣内字井関に奉遷して井関神社と称し、一方この地に祭祀の御祭神を奥宮大神と崇め奉って今日に至っている。
そしてこの神社の重要な点・・なのだが、この神社の御神体は神殿背後の巨石という。
大昔の自然崇拝といえる信仰形態を今に残しているという程度が一般的解釈だろう。
問題はこの宮の上の「舟形の石積み」である。
船形の石積みは紛れもなく「船神輿」を形造ったものである。
台石部分が船であり、船尾の石積みが神輿、この神輿に乗っているのが神である。石積みの形状からは台石の上に上がって拝観していたことが伺える。神社が作られる以前は船形の石積みそのものを信仰の対象としていた訳である。
ここに立っている巨石には何の意味もなく、ご本尊は「舟形の石積みに乗っているもの」・・ではないのか。

(追記事項)
最初の資料になかった神が他にもう一人いた。牛頭天皇である。
この牛頭天皇を祀るのは一般に祇園神社であり、この山の峰のひとつに祇園嶽という名がある所からこの神名がないのが不思議だった。それがあった。するともう一人、ここの伝承に出てこない人物がいる。牛頭天皇を祀る神社ではセットのように出現する人物と言う。法道仙人である。中国では仙人はいくらでもいるようだが日本で仙人を敬称されているのはこの人だけである。近畿の神社仏閣には法道仙人開基が無数にある。それも全て深い山岳地帯であり、西国33ヵ所の寺の内の30パーセント、それ以外の神社などもあるから100ヵ所以上あるという。ただしこの人の活躍は近畿一円に限られている。牛頭天皇は神だが、法道仙人は人間らしい。そしてこの人物の行跡はピラミッドにつながっている様に思えるのだ
■詳細はコチラでどうぞ⇒実録・不思議の古代史/謎の法道仙人
●水争い遺称地
『播磨国風土記』には,石龍比古命と石龍比賣命の兄妹の神の水争いが記されている。
この話は,中垣内川上流の村と越部村の人々の間で起こって水争いのようすをたとえたものとされる。亀の池から流れ出た水は2つの谷へと分かれるが,その勾配の違いから越部の村へ多く流れるため,中垣内川上流の村人がそれを堰止めた。このことが水争いの発端となった。この石積みが,水の流れを人為的に変えた当時の遺称地だという。
石龍比古命・石龍比賣命とは石タテ立石のこと。
奥宮神社の岩座の立岩であり、
饒速日命のことである。
●亀の地
この亀池の土手を左手から右手に通っていくのが城山からの歩道コースである。
この付近に膨大な巨石群の無一帯がある。

●この方位石は重要な意味を持つ方位石でした
●⇒
亀石と蛙石

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